貨幣数量説で考えるモノとカネの歪な関係 何故チープなもに価値がつくのか?
貨幣数量説
貨幣数量説とは、貨幣を「モノ」と捉えて物価と通貨の流通量が、交換比率に関係し合うという考え方です。
例えば、世の中に流通する通貨の量が2倍になると通貨の価値は半分になる。そうなると100円で買えた大根が、200円になる。
これは、極端な例だが、物価と通貨の供給量をベースに考えるとこうゆうことになる。
より事例を挙げて説明すると、戦時中に武器を買うお金などを工面するために、国が大借金をして、通貨の新規発行を無制限で繰り返すと、その国の通貨の価値はどんどん下がっていく。
これが、歴史の教科書にも記載されている、ハイパーインフレという現象だ。野菜ひとつを買うのにトロッコいっぱいの紙幣を運んで買い物をする風景を想像してほしい。
ご存知の通り、お金の価値が、戦争や災害などで、(新規発行を無制限に行ったこと)で、そのものの相対価値が目減りして、従来の価値を失ってしまうということが、歴史上しばしば起こる。
そして、デノミが行われ、通貨の単位が切り上げられ変更される。定食1,000円が10万円になったので、旧10万円を新1,000円札に交換しますよと。そうして、国の借金はチャラになる。つまり、国民が借金を肩代わりして帳尻を合わせた格好になる。
通貨の価値は変動する
これは、戦争などの有事の事態が起こらなくとも、国の財政難によるデフォルト懸念は、小国だけの問題ではなく、先進国である、米国や日本でも起こりえる。返すあてのない膨大に膨れ上がっていく借金の額を考えていくと、将来は、借金の引き受けてが不在になり、国債が発行できなくなるからだ。
実際にあまり報道されていないが、アメリカでも、毎年予算を作成するときに、引受先探しには苦戦していて、デフォルト懸念が突如表面化することがある。
これは、自国の通貨だけを日々みているとあまり考えないことかもしれないが、通貨には、円やドルの他に元やユーロ、様々な通貨が流通していて、その価値は為替によって日々変動している。
日本国内だけで円を利用していれば、為替の変動は特に気にする必要はないが、対外国ではその為替差益を大きく企業の業績を左右しかねないことになる。
そのようにして、私たちの円資産であっても、常に変動していることを意識するべきだ。世の中には、世界の通貨、株式や、不動産、金、貴金属、先物、国債、社債、仮想通貨とありとあらゆる金融商品がモノとして関係し合っている。
インフレとデフレの関係
そして、物価が上昇すればインフレに、反対に、物価が下がればデフレとなる。
これは、どちらも急激な変化は好ましくなく、理想的には、緩やかにインフレに傾いていく形が理想だ。
それを誘導していくのが、金融政策である。
市場に流通する通貨の量を調整することによって、デフレの場合は、インフレ方向に持っていこうとするのである。
今の日本の政策はアベノミクスを初めとして、デフレからの脱却である。不況や将来の不安が影響して、個人や企業が、お金を使わず貯めこむ傾向にあるため、通貨の価値が上昇して、モノの価値が下落していくスパイラルに入ってしまっている。これを負の循環、デフレスパイラルと呼ぶ。
この様な状況では、経済が回りにくく、税金の徴収も落ち込むので国の運営にも悪影響を及ぼす。
なんとか、この流れを逆転させてインフレの方向に持っていきたいところだ。
インフレとは、現在のお金の価値よりも、将来のお金の価値の方が上回っている状態のため、お金を貯めこむというバイアスがかかりにくい。お金よりも、モノの価値が上がる経済では、お金を使うことが促進される。例えば、家や車を購入するには早い方がトクという考えから、世の中の金回りが良くなり、株式や、投資へもお金が回りやすい。
流動性の罠
政策によって、ダイナミックに無理やりお金を使わせ、回していくというのが、イギリスの経済学者ケインズの考え方だ。
貨幣は、非常に便利な資産として、いつでもモノに交換できる特徴がある。そのため貯蓄されやすく、政策によって、供給量を上げても、効果が見込みにくいというものだ。このような状況をケインズは「流動性の罠」と呼んだ。
つまり、個人にお金を使わせるためには、政府が公共事業などで、先に雇用を生み出し、会社の売上として、従業員の給料としてお金が供給されていく仕組みを作り出し、消費が活性化される好循環を生み出していくことが大切なのだ。まさにニワトリが先か卵が先かの理論だ。
人のお金に対する価値観を理解して、本来のお金の価値を高めるのではなく、いかに使わせることで、経済効果を生み出そうとしたのかが良くわかる。
これは、貨幣数量説を根本から否定する。
このように、人間の行動原理も考えると、貨幣数量説通りには物事が進まないことも良くわかる。
大切なのは、価値云々ではなく、「いかにして使われるのか」という論点だ。
これは、ある意味矛盾していて、人間は価値があると思うものを使いたがらない。置いておいた方が、価値が上がって得をするだろうという心理が働くからだ。
むしろ価値が将来減ってしまうというチープなものであれば、今のうちに何かに使っておこうと思う。
この逆転の発想が必要になってくるのではないか。まさに、ドルや円は資産として溜め込まれるのに、後進国の信用の低い通貨から、流通して使われているという現実がある。
この議論は、PoW通貨には価値があって、PoS通貨には価値がないという考え方に対しても、理論と全く反対の現実を突きつけるかもしれない。
使われない仮想通貨と使われる仮想通貨
これは、いわずもかな、今の仮想通貨の問題そのものだ。人々は、ビットコインは指数関数的に価値が上がり続けると思っている。しかし、それではドルや円と同じ運命をたどる。つまり「使われない」のだ。
使われない通貨には、通貨としての価値があるのかどうか。
そして、仮想通貨のモナコインが使われている現実についてどう思うのか。
チープなものほど「使われる」ことは、人間の心理のようなものだ。この考察が通貨の本質を考えるきっかけになればと思う。