仮想通貨が変える「お金」と「信用」の新しい経済とは
紙幣の発明
お金が現在の紙幣の形になったのは1000年前。それまでは、貝殻や石が価値の貯蔵手段としてお金の役割をになっていた。それまでは、そもそもお金というもので価値を貯蔵するという必要性がなく、生きるために必要なのは、米や麦などであり、言い換えるならば、食料がお金の役割を果たしていた時代があった。
江戸時代でも人々の生活圏内も限られていて、顔の見える距離感で、人と人との信頼関係で経済が回っていた時代では、実体としての通貨が必要がなく、バーチャルな帳簿上の貸し借りだけで決済が完結していた。
ある意味、今のクレジットカードのようなシステムと同じで、人間関係という信用を担保に、与信管理が機能していたと言えるだろう。
お金とは何か?信用とは何か?
お金を取り巻く環境は、現代のようにテクノロジーが発達した世界でも、江戸時代のような人間くさいローテクの時代でも、「信用」を基礎に置かれていることは全く同じだ。
どちらも実物のお金のやり取りは限られていて、ほとんどがバーチャルな取引で完結している。
法定通貨の強みとは
お金の価値を保証する条件として、どこでもモノと交換できる「流動性」が重要になってくる。
このお金は、A店では使えるが、B店では使えないとなると一気に不便なものになる。
その経済圏でもっとも優れているのが、各国で利用される法定通貨だ。
例えば日本円は、日本国内のどのお店でも利用できるし、米国ドルも同じように、米国内のどのお店でも利用できる。
どこでも使える利便性という最大のネットワーク効果により、法定通貨の価値が信用されているといえる。
信用の裏付けは、国家が担っているという安心感は揺るぎないものだと感じる。
「仮想通貨革命」の意味とは
しかし、そんな法定通貨がお金の絶対的ポジションにいる状況から、仮想通貨というものが誕生した。
これは、言い換えるならば、国家の信用を必要としないお金になる。信用の裏付けとなるのは、契約書のみ。ビットコインは、ブロックチェーンという公開された取引台帳を元に全取引履歴をオープンにすることで、お金の価値が存在していることを証明している。
オープンになった全取引データをノードと呼ばれる分散された管理者たちによって常に監視されているため、データを改竄されることも、ハッキングでお金を奪われるということも無い。
ビットコインは、価格の変動こそあるものの、一度動き出してしまえば、何者かによって止めることは不可能であり、社会から消えることはこれからもありえない。
そこで、国家としては、法定通貨のポジションを奪われるのではないかという警戒が強まっているのが現在の規制うんぬんに繋がっていると感じる。
本音であれば、潰してしまいたい仮想通貨という存在を、事実上不可能と理解した場合どうしていくのか?
理想としては、お互いが協力関係になれるような、複数の経済圏を許容していくことである。
一方的にお金を国家のコントロール下に置くことが、間違っているとも言い切れないのは、経済政策などの施策を容易に打ち出すことができるため、現在の仕組みを破壊することも、否定することも得策ではないと思う。
できることならば、それぞれの経済圏がうまくかみ合うような仕組みづくりをしていくことを目指すべきでなないだろうか。
お金の本質とは
一方で、仮想通貨は、投機としての盛り上がりを見せるだけでなく、冷静にお金の本質に気づかされる存在でもある。
先ほどの、新しい経済圏の許容は、国家の信用を軸にした法定通貨だけでなく、企業や、個人、またはコミュニティの信用を元にした新しい経済圏のための通貨を発行するための、様々なお金が乱立する状況を作り出していく。
これは、通貨発行権(シニョリッジ)が国だけでなく、あらゆる人たちに解放されたことを意味するが、同時に、信用によって価値を創造することができるという革命を巻き起こすかもしれない。
新しい経済圏が生み出すもの
これまでは、事業やプロジェクトは銀行などからお金を借りてはじめる融資が基本だったが、「信用」を軸に発行される独自の通貨があれば、面倒な手続きもいらず、手軽に資金を集めるICOという仕組みが経済を動かしていけるかもしれない。
むしろ信用がお金の本質であったのかと気づかされる。
信用さえ獲得できれば、資金を集めるだけでなく、通貨を発行できてしまう変革は、小さくても経済圏を作れるチャンスが解放されたことにある。今後、ロングテールモデルで様々な仮想通貨が生み出されていくことになる。この革命は止められない。
そのためには、規制や法整備、詐欺から投資家保護まで、順を追ってきちんとルールを定めていく必要があるが、仮想通貨は、投機だけではなく、信用とは何か?仕事とは何か?社会に貢献すること、働くことの意義。人生の生きがい、喜びを教えてくれるスケールの大きな概念になっていくのではないかと思う。